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トカトントン、が聞こえる

最善の判断をしたはずなのに、実は「トカトントン」だったのかもしれない、と考える男のメモ
出戻りです(笑)
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    移転先の「さくらのブログ」が今ひとつだったので、戻ってきました。「さくらのブログ」で書いた記事は、こちらにコピペしておきます。ただし、今後もあまり更新しません。新しい方のドメインはBloggerに割り当てておきましたので、そちらで記事を更新していきます。

    ここは…そうですね、倉庫かなあ。投稿画面が個人的には嫌なんだけど、ブログの画面そのものは悪くないんですよねえ。>ロリポブログ JUGEMと比べると、気持ちいいくらい放置されているのはいただけないけど。ユーザが少ないのかな。
    | このブログについて | 20:36 | - | - | - | - |
    パルマ展に行ってきました
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      国立西洋美術館 パルマ展1

      土曜日の上野公園は、人でいっぱい。少し日がかげりだした15時半に入館した。館内も人はかなり多かったが、人にぶつかってどうしようもないというほどでもない。音声ガイドを500円で借りる。ナレーターは錦織健。ガイドの数が、以前「仏像展」で借りたときより少なかったのが少し不満。

      企画展を見た後、もう一つの目的の写真展を見るため、常設展の会場に入る。国立西洋美術館は何度も来ているが、常設展にはいるのは実は初めて。中は、スペースの割に人が少なく、写真撮影も厳しく禁じられていないらしく、写真を撮る人がいたり、子供が走っていたり、のどかな雰囲気だった。

      新館2Fの版画素描展示室は、順路の最後の方にあるので、途中の展示物をゆっくり見ていると、たどり着くまでに疲れてしまう。展示されていた写真は、いろいろ考えさせられるものだった。11世紀から12世紀にかけて作られた、

      ロマネスク様式の壁画・彫刻の写真を集めてある。ロマネスクは、ゴシックの前、ルネッサンスのさらに前に位置する。文化的には暗黒の時期にかかり、芸術的には現代的な目で見ると、ちょっと奇異な感じに写る作品も多いが、人間の考えていることは当時も今も似ていたのではないか、作品の写真を見ていてそう思った。

      国立西洋美術館 パルマ展4

      出てきたら、「地獄の門」の前で携帯を構える人がひっきりなしに写真を撮っていた。私の戦利品はというと。

      国立西洋美術館 おみやげ1

      文化史年表。美術史的な時代分けや王朝の名前などが書かれていて、なかなか役に立つ。でも、丸まっているので使いづらい。なので、あとで伸ばして、途中で読めるように折り曲げた。

      国立西洋美術館 おみやげ2

      ロマネスク美術写真展のカタログ、というか、元ネタ。モノクロ写真も多くて、雰囲気がいい。

      明日までなので、お近くの人はよかったらどうぞ。

      パルマ展のサイト

      ロマネスク美術写真展

      次は、東京国立博物館平成館の「京都五山 禅の文化」展(開催中)、国立西洋美術館10月からのムンク展かな。

      | 映画・アート | 21:06 | - | - | - | - |
      情報商材のからくり
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        ホームページを作る人のネタ帳」さんの記事に「mixiで寝ながら月93万稼ぐ方法とは?」という有名な情報商材のからくりが書いてありました。基本はネズミ講みたいですね。

        情報商材って、ネットに詳しい人はうさんくさいと思ってしまうわけですが、実はそろそろ市民権を得つつあります。今後、増えてくるでしょうね。また、基本的に、売る人より作る人が儲かる仕組みになっています。そのあたりまで意識した上で、買いたいなら買う、売りたいなら売るようにした方がいいでしょう。

        そういえば、私の弟も嫁さんに隠れて買ったことがあるそうです。この商材ではなかったと思いますが。ネットに疎いというのは、まったく可哀想なものです(笑)。

        | ネット | 21:05 | - | - | - | - |
        日本はどこへ行くのか
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          産経新聞の【やばいぞ日本】特集がいい。日本の問題点を詳しく洗い出してくれている。このあたりの取材や構成はさすが大新聞だ。

          たとえば、【やばいぞ日本】序章 没落が始まった(1)「ダイナミズム失う」では、記事の最後でこう警鐘を鳴らす。

          いま、日本の没落が始まっている。経済は好調なのに、ジワジワと迫り来る長期的な不安がぬぐえない。人口減少に歯止めがかからず、エネルギーの獲得競争に相次いで敗れ、日本が誇った技術力にもかげりが見える。教育の劣化やモラルの崩壊は目を覆うばかりだ。日本文明の没落までささやかれ始めたいま、その現実とそこからの脱出を探る。

          経済そのものは好調だが、この連載を読んでいると、いかに外交が劣っているか、日本の誇りであった技術力が蝕まれているかがよくわかる。いずれも、目を覆いたくなるような惨状だ。人口減少や教育の劣化など、国内問題についてはまだ記事が掲載されていないようだが、是非とも読んでみたい。

          | 社会 | 21:05 | - | - | - | - |
          人は金だけで動くにあらず
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            パスカルの名言「人間は考える葦である」は、実は、その前にも文言があって、「人間は、自然のうちでもっとも弱い一本の葦に過ぎない。しかし、それは考える葦である」というのが完全なフレーズらしい。

            「考える葦」というのは、パスカルの言いたかった文脈では、マクロコスモスとミクロコスモスの両方を考えることができる、という意味らしい。(松岡正剛「17歳のための世界と日本の見方」p.312)

            さて、それはともかく、人を動かす原動力は2つある。金と名声だ。もちろん、金でも名声でも動かない人もいるが、現代社会をマクロ的に見たとき、金か名声のどちらかで動くのが普通で、後は例外だと考えた方がいろいろ理解しやすい。注意したいのは、名声は匿名の人でも得ることができる、という点だ。「これはボクがやったんだ」と思えるものであれば、名声を得る素材となりうる。

            前置きはこれくらいでよかろう。小飼弾氏はこう書く。本当に若者はうまく働くことができないか?

            むしろ私には「昨今の若者」たちが、「いい仕事をすること」「いい汗をかくこと」に対しては貪欲でも、「それに対する代価を要求し、その権益を確保することにはさほど興味がない」ように見受けられる。字幕.inの中の人なんてまさにそうだ。とりあえずの生活費を確保したら、あとはもってけセーラー服と言わんがばかり。むしろ「オレオレ」とばかりに所有権に敏感で、権益確保に旺盛なのは、「おじさんおばさん」にこそ多く見て取れるのだが。

            字幕.inの中の人はさておく。あの人は、本当に欲がなさそうだから。どこか、マリナーズのイチローを思わせるような(しかし、何から何までまったく違うのだが)禁欲的な、というより、無欲な人みたいなので。ちょっと例外でしょ、あの人。

            で、それ以外の人たち、ニコニコ動画のMADの職人やコメント職人たちは、確かに労働に見合う代価を要求していないかのように見える。しかし、本当はそうではないのではないか。つまり、彼らの求める代価は、お金ではなく、名声である。

            2chのまとめサイトやニコニコ動画のコメントを見ていると気づくと思うが、多くの人にとってちょっとでも価値のありそうなものに対しては、すごい勢いで賛辞が浴びせられる。「うp主乙!」に始まって、「うp主愛してる」とか「結婚してくれ」とか「うp主は俺の嫁」とかのコメントが多数ついた動画を探すのは簡単だ。「結婚してくれ」などのコメントは、投稿者が男性だとおぼしき場合でも、男性がそのようにコメントを書いていると推測される。投稿者(あるいは、出演者)が女性の場合は、それがさらに顕著になる。

            このように過剰な賛辞は、ニコニコ動画への投稿者にとって、大きな代価となりうる。投稿者が匿名であっても、しかし自分が投稿し、そして自分に対して賛辞が送られ、それを受け取ることが許されている。代価は十分得ている、と思う。

            多くの現代人が血眼になって追い求めているのは、金と名声である。仕事ができる奴は金を求め、チャンスに恵まれない奴は名声を求める。注意しなければならないのは、この場合の名声は、匿名であっても受け取れるものだということだ。2chのVIPを見よ。匿名のまま、できるだけ多くの人から賛辞を得るために、 VIPPERは常識外れのことをやる。たびたびVIPに現れる“釣り師”たちを見よ。最後に「釣りでした(=これはフィクションです)」という宣言の後、いい“釣り”にはお話としてのクオリティを誉める言葉が次々と発せられる。それは匿名であっても、自分に向けられたものとして受け取ることが許される素晴らしい贈り物だ。名声を求めている現代人の極端な形が、VIPPERたちに見て取れる。

            | 社会 | 20:57 | - | - | - | - |
            「罪と罰」を読んでいる
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              「事実は小説より奇なり」というけど、現実の方が小説を追い越したと言われるようになって、もうどのくらい経つだろう。並みの小説よりも、事件や事故を追うドキュメンタリーの方が面白いのは確かだ。

              だが、ドストエフスキーはちょっと違うようだ。随分前に読了した「カラマーゾフの兄弟」は、いまだにテーマがよくわからないままだが、そこに描かれている出来事の“力”は、圧倒的なものだった。今、読んでいる「罪と罰」もまた、大きな“力”が登場人物を飲み込んでいく。意思を持って行動する人間が、その意思とは何の関係もない場所に放り投げられ、翻弄されていく。

              ドストエフスキーの小説が単なる荒唐無稽なお話とならないのは、人物の心理描写によるところが大きいと思う。小さく、そして大きく揺れ動く主人公ラスコリーニコフの感情を細かく鋭く描写する。自分の心の動きをじっと見つめれば、確かにわかる、しかしそこまでは誰も踏み込まないような場所、心の奥深くに言葉の楔を打ち込み、用心深く気持ちをひっくり返す。

              そんなことをして、いったい何の役に立つのだろう。そう問いたいような作業が何度も何度も執拗に繰り返される。

              何に役立つのか、それはわからない。きっと、特段の役には立たないのだろう。しかし、物語の持つ“力”は、人に大きな影響を与えることがある。人を癒やし、元気づけ、考えを転換させ、落ち込ませ、絶望させる。私と同じことを先人たちも感じた。だから、これらの作品が今に伝えられているに違いない。

              | 読書 | 20:56 | - | - | - | - |
              Web上のコミュニティについて
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                先日来、はてな村を騒がせている問題だけど、私の考えていたことと似たことを池田信夫氏が書いている。はてなの逆淘汰

                ウェブは、十分大きくなった。これからは量の拡大を求めるのではなく、質の高いコンテンツをフィルタリングするシステムが必要だ。それにはサービス業者が介入するより、ユーザー同士でチェックし、格づけするのがウェブらしい解決方法だろう。はてなブックマークは、もとはそうしたメカニズムの一つだったが、それ自体がイナゴの巣になっているのではしょうがない。

                どこかにもう書いたと思うけど、はてな村よりも、今や2ちゃんの方がずっと情報システムとして優れている。もちろん、2ちゃんそのものは、情報のS/N比が低すぎて、生ログなんて読んでいられないだろう。しかし、多くのまとめサイトがあって、競って情報を選別・編集している。その結果、全体としては非常におもしろい情報源になっている。スレの参加者や意見に偏りがあり、編集しているまとめサイト管理人のバイアスがかかっていることさえ意識しておけば、十分楽しめる。

                それに比べて、はてな村やブログ界はどうだ。はてブをはじめとしたソーシャルブックマークという優れた情報選別の仕組みがあるにもかかわらず、イナゴに食い荒らされてしまっているらしい。たとえば、誹謗中傷を芸だと勘違いしている馬鹿者が大きな顔をする現象はパソコン通信時代にも頻繁にあったけど、同じことが同じように問題になっているのを見ると、もう少し歴史を意識した方がいいのではないかと思う。

                イナゴ問題だけでなく、特に見るべき情報のないブログが増えて、ブログのS/N比が下がってきて、ブログ全体の平均価値が下がってきている。リアル知り合いのブログと、有名人のブログ、あとは仕事や趣味関係のブログくらいしか、普通の人にとっては読む価値がないかもしれない。

                どう考えても不思議なのは、2ちゃんのカオスをまとめ上げるシステムが現に存在しているのに、もっとまともなディスクールが交わされているブログ界の状況をまとめ上げるシステムがどこからも出てきそうにないことだ。いや、すでにあるのかもしれないが、まだ私の目に触れるところに出てきていない。

                ふと思ったのは、もしかしたら、ブログ界のまとめサイトみたいなのが必要なのかもしれない。2ちゃんのまとめサイトのように、エントリごと抜き出したりして掲載する、そんなサイトが出てきてもいい。

                そこで障害となるのが、著作権法だ。どう拡大解釈しても、エントリごと引用してしまうと、それはもはや著作権法の許すところの引用にはあたらないだろう。そこで、私が提案したいのは、ネットにおける著作権法の一部制限だ。まとめサイトのようなものに限って、引用の要件を満たさなくてもいいことにする。これにより、現行の著作権法をまじめに守るよりもずっとネット上の情報交流が活発になるのではないか。

                一つだけ池田信夫と意見が違うのは、「ユーザー同士でチェックして格付けする」というところ。はてブがイナゴの巣になったように、よほどうまくシステムを作らないと、イナゴに食い荒らされてしまう。情報の編集作業には、特定の編集者(複数でもいいけど)の視点が必ず必要になる。視点の定まらない編集作業というのはあり得ない。

                | ネット | 20:55 | - | - | - | - |
                梅田望夫氏と母の共通点
                0

                  変化に対応し、自分のように考えることがサバイバルできる確率を高めるのではないかと梅田望夫氏は言う。サバイバルのための人体実験を公開すること これに感じていた違和感と同じものを感じた記憶がある。

                  母は負けん気の強い人だ。負けん気の弱い(というか、ほとんどない)子供だった私に、「なにくそ(負けるものか)と思え」と何度も言った。母はそうやって生きてきた。だから、それを息子の私に伝えようとしたんだろう。

                  梅田望夫氏の言う「こう考えた方がサバイバルできるんじゃないか」は、母が言っていた「なにくそと思え」というのとほとんど同じように思える。生き残るため、勝ち残るために、梅田望夫はいわゆる「ポジティブ」に思考することを勧める。母は、「なにくそと思う」ことを勧めた。

                  生き残ること、勝ち残ること。これは重要だろう。私も最近、何らかの形でこのことを思わない日はない。今の仕事でうまく生き延びるためにはどうすればいいか。もしそれが無理なら、仕事を変えてでも生き延びるにはどうすればいいか。ずっと考えている。それがきっと“正しい”のだろう。

                  母に「なにくそと思え」と言われた私は、あまのじゃくだったからか、「なにくそなんて思うものか」と心に決めた。天変地異があったら、一番先に死んでしまうようなそんな生命力の弱い人間でいい。そう思った。

                  どうやら実際にはそれほど弱くないようだし、弱ければ弱いなりに見えてくるもの、聞こえてくるものがあるから、「なにくそ(負けるものか)」と思わなくても、それなりの生き方はできるだろう。ただ、生物としてはよくない。なんとしても生き残ることが、生物の目的だから。「できるだけ長生きすること」「子孫を残すこと」「グループのリーダーになること」「安楽に暮らすこと」、これらは生きることの目的かもしれない。

                  しかし、そういう生き方を、ソクラテスが2000年以上前にすでに否定している。おそらく、2000年以上前にすでにそういう生き方が推奨されていたのではないか。だから、ソクラテスが一生懸命否定して見せたのではないか。

                  全然結論に至らない。

                  | こころ | 20:54 | - | - | - | - |
                  「どうやって生きていけばいいのかわかりません」という質問に対するfinalventさんの回答が秀逸な件
                  0

                    はてなQより どうやって生きて行けばいいかわかりません。

                    finalventさんの回答はこちら

                    目をつぶって一歩だけ前に進みなさい。(中略)

                    そして一歩進んだ足に重心を置いて、ちょっと振り返って片目を開ける。(中略)

                    そして、自分を縛ってきたものから自由になり孤独になり、目をあけて前に進んでいく。

                    ちなみに、「自分を縛ってきたもの」は最終的には自分そのもの。「こんなことはできない」「これはやりたくない」「そっちには行きたくない」「もうこれでいい」などなど、自分で自分を縛るものはたくさんある。大事を成し遂げている人の多くは、そういう自分への縛りを逃れているんだろうなあ。

                    | こころ | 20:53 | - | - | - | - |
                    俳句よりも頭を使うもの
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                      どこかのニュースサイトによれば、俳句をひねると、脳の特に前頭葉をよく使うので、ボケ防止にいいとか。

                      俳句をひねるのはなかなか難しいので、同じように頭を使いそうなものを考えてみた。

                      1.般若心経を唱えながら漢字を思い浮かべる

                      単にお経を唱えるだけでは、全然頭を使っているという感じがしないけど、漢字を思い浮かべながら唱えると、むちゃくちゃ頭を使ってるような気がする。意味まで思い出そうとすると、さらに頭を使うけど、唱えるのと意味とを同時にするのは、今ひとつみたい。たぶん、漢字のイメージを頭に思い浮かべるのが、かなり頭を使う作業なんだと思う。

                      2.レシピを見ずに料理を作る

                      材料を前に、料理の段取りを考えるのも頭を使うみたい。あれを少し炒めてお皿に取り出し、これに火を通したらフライパンに戻して、その間にパスタをゆでる…なんてのは、頭を使わずにはできそうにない。

                      3.仕事とは関係ないノウハウを仕事に応用してみる

                      スポーツの上達のコツみたいに、仕事には直接応用できないものを仕事に無理矢理応用してみる。法則にまで仕上げられれば上出来。四方八方から、いろいろ考えれば、頭を使うみたい。

                      試してみた感じでは、1.が一番大変。脳が非常に活性化しているのが自分でもわかるくらい。それに比べると、2.や3.はそれほどでもない。

                      | 仕事 | 20:52 | - | - | - | - |