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トカトントン、が聞こえる

最善の判断をしたはずなのに、実は「トカトントン」だったのかもしれない、と考える男のメモ
梅田望夫氏と母の共通点
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    変化に対応し、自分のように考えることがサバイバルできる確率を高めるのではないかと梅田望夫氏は言う。サバイバルのための人体実験を公開すること これに感じていた違和感と同じものを感じた記憶がある。

    母は負けん気の強い人だ。負けん気の弱い(というか、ほとんどない)子供だった私に、「なにくそ(負けるものか)と思え」と何度も言った。母はそうやって生きてきた。だから、それを息子の私に伝えようとしたんだろう。

    梅田望夫氏の言う「こう考えた方がサバイバルできるんじゃないか」は、母が言っていた「なにくそと思え」というのとほとんど同じように思える。生き残るため、勝ち残るために、梅田望夫はいわゆる「ポジティブ」に思考することを勧める。母は、「なにくそと思う」ことを勧めた。

    生き残ること、勝ち残ること。これは重要だろう。私も最近、何らかの形でこのことを思わない日はない。今の仕事でうまく生き延びるためにはどうすればいいか。もしそれが無理なら、仕事を変えてでも生き延びるにはどうすればいいか。ずっと考えている。それがきっと“正しい”のだろう。

    母に「なにくそと思え」と言われた私は、あまのじゃくだったからか、「なにくそなんて思うものか」と心に決めた。天変地異があったら、一番先に死んでしまうようなそんな生命力の弱い人間でいい。そう思った。

    どうやら実際にはそれほど弱くないようだし、弱ければ弱いなりに見えてくるもの、聞こえてくるものがあるから、「なにくそ(負けるものか)」と思わなくても、それなりの生き方はできるだろう。ただ、生物としてはよくない。なんとしても生き残ることが、生物の目的だから。「できるだけ長生きすること」「子孫を残すこと」「グループのリーダーになること」「安楽に暮らすこと」、これらは生きることの目的かもしれない。

    しかし、そういう生き方を、ソクラテスが2000年以上前にすでに否定している。おそらく、2000年以上前にすでにそういう生き方が推奨されていたのではないか。だから、ソクラテスが一生懸命否定して見せたのではないか。

    全然結論に至らない。

    | こころ | 20:54 | - | - | - | - |
    「どうやって生きていけばいいのかわかりません」という質問に対するfinalventさんの回答が秀逸な件
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      はてなQより どうやって生きて行けばいいかわかりません。

      finalventさんの回答はこちら

      目をつぶって一歩だけ前に進みなさい。(中略)

      そして一歩進んだ足に重心を置いて、ちょっと振り返って片目を開ける。(中略)

      そして、自分を縛ってきたものから自由になり孤独になり、目をあけて前に進んでいく。

      ちなみに、「自分を縛ってきたもの」は最終的には自分そのもの。「こんなことはできない」「これはやりたくない」「そっちには行きたくない」「もうこれでいい」などなど、自分で自分を縛るものはたくさんある。大事を成し遂げている人の多くは、そういう自分への縛りを逃れているんだろうなあ。

      | こころ | 20:53 | - | - | - | - |
      私がアドバイスに躊躇する理由
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        他人の悩みや困りごとを相談されたとき、それが深刻なことであればあるほど、「こうしたらどう?」とか「あれが悪いんじゃない?」とか、アドバイスは、できるだけしないようにしている。

        「インターネットがつながらない」とか、「パソコンはどれを買えばいい?」とか、そんな困りごとなら(これは悩みとは言わないけど)、いくらでもアドバイスするけど。

        そもそも「悩み」というのは何かというと…

         悩みには他種類のいろいろな気持ちがあってそれらの中をぐるぐる回っているのではない。悩みの気持ちを整理していくと、あるのは二つの気持ちだけだ。その二つの間を揺れること、どちらかに決めようとすることが、私たちの悩みの基本形である。

         AかBか、その二つの間でAにしようと頑張ったり、Bに決めようと気持ちを抑えたりして揺れる。無理にAに決めたとすればBが抑え込まれる。するとBの気持ちが大きくなり始めて、Aの決心を揺さぶる。やっぱりBかと思う。今度はBに決めると、逆にAの力が増し始めて、再び気持ちが揺れる。そして、いつまでもどちらにも決められない自分を感じて、「堂々巡り」している自分を競る。

         これが悩みの基本形である。(中略)

         何度も両方に揺れて、Bを受容して、最後に同時に両側を知ると、その真ん中にごく小さいけれども、ほんの少しの静かな場所がある。それを知ることが自分を切り捨てないで、そのまま感じることである。

         これによって“自己受容”が進む。(「新しく生きる」高橋和巳、三五館、pp.176)

        具体的な悩みの解決法の部分は、あえて省略しておくけど、まあ、悩みというのは複雑なのは確か。

        で、アドバイスというのは、悩みの複雑な本質部分を理解せずに、無責任に解決方法を指示することが多いわけで、あたることが多いとしても、個人的にはできるだけ手を出したくない。相手がアドバイスに従った場合に生じるトラブルの責任を負えることはほとんどない、というのも理由の一つだけど。もしトラブルの責任を負える立場・状態なら、踏み込んだアドバイスは可能だろう。

        だから、深い悩みや困りごとであれば、基本的に「聞く」ことにとどめようと思っている。もちろん、ただ単に聞いているだけではなくて、問題のありかを明確にする作業には労を惜しまないが。

        ただ、昔の自分を目の前にしたとしたら、たくさんアドバイスしたくなる。

        • 大切な人を振り回すな。
        • 目上の人に相談しろ。
        • 高望みするな。
        • 将来のことを考えろ。
        • 自分の能力の限界を知れ。
        • 時にはバカになれ。

        10年前に、これらのアドバイスを聞いて、本気で耳を傾ける機会があれば…といっても始まらない。

        | こころ | 20:46 | - | - | - | - |
        人間全体の能力は一定である、という仮説
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          404 Blog Not Found:学力って本当に低下しているのだろうか?より。

          私の「体感」では、学力はちっとも下がっていないどころか、格段に向上している。しかしそれを語る前に、まず「学力」をきちんと定義しておかなければならないだろう。

          私にとっての「学力」の定義は、読んで字のごとく「学ぶ力」、すなわち「わからなかったことをわかるようにする力」だ。はじめから「わかっている」必要は全くない。極端な話、何も知らなくても、誰に聞いたらわかるのかを知っている人の学力は、8割のことを知っていても残りの2割を誰に聞いたらいいのかわからない人よりもずっと学力は高いのだ。

          人類の「学力」というのは、「自分で覚えている」から、「自分は忘れてもいいから誰か/何かにおぼえてもらって、おぼえている人/ものの居場所だけおぼえておく」という進化の流れの中にずっといた。話し言葉から書き言葉。写経から活版。会話から電話。そしてインターネットと検索エンジン....人類の学力というのはおよそ下がったなどないようにすら思える。


          人間の能力全般は、ここ数千年、上がりも下がりもしていないと思う。何に能力を使ったかだけが大きく変わってきただけだ。時代によっては、後世に残るものができ、時代によっては何も残らない。今の世界を見よ。後世に何かを残せる国や地域と、そうでない地域がある。どこに住んでいるかと、何を残せるかは関連性がある。しかし、能力の多寡とは関連性がない。縦軸と横軸が違うだけだ。

          進化しているのは人間そのものの能力ではなく、人間の残してきたものである。調べる力が上がったのは事実かもしれないが、その過程で失ってきた能力はないか。もし失ったものがないとしたら、実は以前は怠惰であったのが、勤勉になっただけだ。

          …と、ずいぶん前から考えているのだが、実際に確かめるにはどうしたらいいのだろうか。脳生理学的に確認すればよいのだろうか。

          | こころ | 14:13 | - | - | - | - |
          悪意は友人を連れてくる
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            仕事で外注先を募集したときのこと。以前、頼んだ仕事の出来が悪かった人が、また応募してきた。仮にAさんとしよう。今回は、別の会社を使って募集したので、私のいる会社が募集しているとは知らずに応募したのだろう。

            私は「以前、問題があったので、あなたへの発注は止めておく」とメールで返信した。すると、Aさんから「どこが悪かったのか、教えてください」と絡まれた。「どこが悪かったのかさえわからない、あなたの鈍感なところがまず問題なんだ」と言いかけたが、止めておいた。

            さて、クライアントに絡んでくるAさんの行為は、ビジネスの世界では御法度である。会社は学校ではない。どこが悪かったかを聞きたいのはわかるが、クライアント(になるかもしれない人)に喧嘩腰で詰問するなど、勘違いも甚だしい。

            しかし、私にも問題はあった。仕事を頼まないと最初からわかっていれば、Aさんの応募をまともに取り合う必要はなかったのだ。「あなたの仕事には問題があった」と教えてあげる必要もない。ただ単に無視していればいい。それがお互いのために一番いいのだ。

            もし無視せずに何か反応を返すなら、全く別の理由で(もう決まってしまったとか、仕事自体が消滅したとか)断ればいい。「あなたの仕事に問題があった」などと悪意をもって、あるいは悪意があるととられかねないやり方で、何かを言うのは得策ではない。相手がヒートアップして絡んでくる確率が高くなってしまう。

            悪意は友人を連れてくるのだ。

            | こころ | 20:36 | - | - | - | - |
            般若心経
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              仏説摩訶般若波羅蜜多心経
              観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
              舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受想行識亦復如是。
              舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
              是故空中、無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。
              三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
              故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
              即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。
              般若心経
              | こころ | 11:53 | - | - | - | - |