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トカトントン、が聞こえる

最善の判断をしたはずなのに、実は「トカトントン」だったのかもしれない、と考える男のメモ
欲望と成功と日本と池田晶子
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    池田晶子

    再び、故・池田晶子に関係した話。
    続きを読む >>
    | 思索 | 22:37 | - | - | - | - |
    池田晶子、逝く
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      池田晶子近影

      本名、伊藤晶子。享年46歳。早すぎる死だった。昨夏、腎臓ガンが見つかり、手術後、一時退院していたらしいが、今年1月再入院。2月23日午後9時30分、帰らぬ人となった。

      ニュースを読んだとき、「ええっ」と声を上げてしまった。人間的に尊敬できるわけではなさそうだし、後世にずっと伝えられるような仕事をしたわけではない。少し検索してみると、例の四谷ラウンドの本については、池田がかなり無茶を言っていたのではないかという情報もある。しかし、考える上で、大きなヒントをくれた。目標となりそうな人だった。一度、一緒に飲んでみたい人でもあった。

      池田が亡くなったことは大きな衝撃だが、しかし、それと同じくらい衝撃だったのが、夫の存在だ。いったいいつ結婚したのだ?結婚したことは、著作には影響を及ぼさなかったのか?下世話な話、池田はどんな妻だったのだろうか?

      しかし、46歳で亡くなる人もいるのだ。私自身、いつまで生きているのか、本当にわかったものではない。妻も子供を持つ選択をできずにここまで来てしまったため、何も残さずに死ぬことになりそうだし、生きていることがどういうことなのか、もう少し一生懸命考えておいた方がよさそうだ。

      連載をまとめた本や連載原稿の執筆を最後まで進めていたらしい。春には書店に並ぶだろう。どんな言葉を最後に残したのか、是非読んでみたい。
      | 思索 | 15:34 | - | - | - | - |
      数字を追いかけることと闇夜のドライブの類似点
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        数字だけを追いかけることほど、虚しいものはない。経営者であれば、売上や利益だけを追い求め、会社員や自営業であれば、収入や貯金の額だけを物差しにし、母親であれば、子どもの偏差値ばかりを追い求める。ブロガーであれば、アクセス数だけをブログの価値判断基準にする(これは蛇足)。森岡正博らによれば、これらの風潮はオウム事件以降らしい(ここはいい加減。そのうち訂正する)が、こういう行為は、闇夜にヘッドライトを消したまま、アクセルを踏み、スピードメーターを見て「こんなにスピードが出ているんだぜ」と誇ることに等しい。どこに向かっているのか、全然わかっていないのである。

        自戒すべし。
        | 思索 | 13:27 | - | - | - | - |
        「信じる」と「考える」の狭間で
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          昔から考えていることの一つに、「信じる」ことの是非がある。是非で論じるべきものではないのかもしれないが、「信じる」が「真実に目をつぶる」こととどう違うのか、自分は何かを「信じる」べきか、そもそも「信じる」とは何か、ずっと答えが出ないままである。

          こう書いてみて思ったのだが、もしかすると、「信じる」とは何かを考えるのには、言語を検討してみるのがいいのかもしれない。つまり、「信じる」という言葉がいつどのように使われるのかを考えるなら、「信じる」の正体が分かるかもしれない。

          昔から考えていることの一つに、「信じる」ことの是非がある。是非で論じるべきものではないのかもしれないが、「信じる」が「真実に目をつぶる」こととどう違うのか、自分は何かを「信じる」べきか、そもそも「信じる」とは何か、ずっと答えが出ないままである。

          こう書いてみて思ったのだが、もしかすると、「信じる」とは何かを考えるのには、言語を検討してみるのがいいのかもしれない。つまり、「信じる」という言葉がいつどのように使われるのかを考えるなら、「信じる」の正体が分かるかもしれない。
          | 思索 | 20:02 | - | - | - | - |
          結論だけが重要ではないが…
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            昔から結論だけが重要だと思ってしまう癖がある。研究のまねごとをしていた頃は、結論だけが重要で、それに至るプロセスは結論ほど重要ではないと思っていた。

            実際はもちろん違う。人文系諸学の研究において、結論を証明するプロセスは、しばしば結論より重要である。今となっては、なぜそんなこともわからなかったのか、当時の自分の浅学を嘆くことしかできない。

            しかし、未だに結論だけが重要だと思ってしまうことがある。人間は、いつか必ず死ぬ。歴史上、死ななかった人間はいない。私もいつか必ず死ぬであろう(哲学的には、こんな杜撰な議論は許されないが、今は目をつむる)。

            しかも、自殺する以外に、自分の死期を決めることなどできないのである。明日死んでしまうかもしれないのに、老後のことを人はなぜ考え得るのだろうか。こういう仕事をして、余暇はこんな趣味で楽しみ、こんな家庭を持ち、こんな家に住み…などとなぜ考えられるのだろうか。「いつか死んでしまう」こと、「いつ死ぬかわからない」ことが、そういう人の意識に大きく上らないのはなぜなのだろう。私には、ぜんぜんわからない。

            ただ、このようにほんの少しだけでも突き詰めて考えると、「どうせ死んでしまうのに…」という議論がなぜか魅力を失ってしまう。どこに問題があるのだろうか。20年以上考え続けているが、まだ答えが出ない。
            | 思索 | 14:05 | - | - | - | - |
            智恵が欲しい
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              昔話では、老人は知識を蓄えているがゆえに、大切にされている。実際には、知識があっても社会から排除されてしまう姨捨山のような話もあっただろうが、老人が長い間を欠けて蓄積してきた知識は、大切にされてきた。

              しかし、メディアの発達により、人間が一生で蓄積できるよりもずっと多くの知識が、簡単に手にはいるようになった。今や、「年寄りは、若者より知識が多い」などと考える人はほとんどいないだろう。若者より知識が多いわけでもなく、体の自由が利かなくなり、生産活動に加わることができなくなった老人は、現代社会では邪魔者扱いだ。

              では、「年を取ることはデメリットしかないのか」と言えば、私はいくつかメリットもあると思う。最大のメリットは、智恵を身につける時間が与えられていることだろう。年寄りがみんな知恵を持っているわけではなく、嫌な年寄りも目に付くが、私自身は智恵を身につけた年寄りになりたいと思っている。

              智恵とは何か。一言では言いづらいが、「バランスの取れた、総合的な判断力」と言ってはどうだろうか。細かい知識の蓄積を誇ることはできなくても、知識を得て、運用してきた年月の間に、自分の中に徐々に積み上がってきた総合的な判断力は、社会に生じる難問に対して、何らかの突破口を見いだすことができるかもしれない。

              | 思索 | 03:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              「誰が言ったか」と「何が言われているか」の関係
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                ネットでの論争を読んでいると、ときどき「誰が言ったかはどうでもいい。そこで何が言われているかに注目すべきだ」という意見に出会う。それなりに正しいように思える意見だが、それが常に正しいとは言えない。

                科学哲学の本を読めば書いてあるし、ここにもあるが、ある個人にとって「何が言われているか」を純粋に吟味できる情報は、それほど多くはない。現代社会では、自分のよく知らない分野の情報を取り入れる際には、「誰が言ったか」によって情報の価値がどうしても違ってくる。もちろん、「誰が言ったか」によって情報の重み付けをするときに、それが誤っていないかどうかを確認する必要は常にある。

                このあたりの議論を無視して「誰が言ったかではなく、何が言われているかに注目せよ」と言われたなら、その意見は無視せざるを得ない。

                | 思索 | 17:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                メモ
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                  鷲田小彌太の「定年と書くこと」
                  http://www.bungeisha.co.jp/hontama/kakukoto/article_350_1.jsp

                  「空気を読め」と「パノプティコン」にはつながりがある。

                  日本は拝金主義に毒されている。Webはアクセス至上主義に毒されている。

                  3日で飽きられる言葉ではなく、3年後に思い出してもらえる言葉を綴りたい。

                  東京大空襲は、米軍による犯罪的な虐殺行為である。
                  | 思索 | 01:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |