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トカトントン、が聞こえる

最善の判断をしたはずなのに、実は「トカトントン」だったのかもしれない、と考える男のメモ
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「信じる」と「考える」の狭間で
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    昔から考えていることの一つに、「信じる」ことの是非がある。是非で論じるべきものではないのかもしれないが、「信じる」が「真実に目をつぶる」こととどう違うのか、自分は何かを「信じる」べきか、そもそも「信じる」とは何か、ずっと答えが出ないままである。

    こう書いてみて思ったのだが、もしかすると、「信じる」とは何かを考えるのには、言語を検討してみるのがいいのかもしれない。つまり、「信じる」という言葉がいつどのように使われるのかを考えるなら、「信じる」の正体が分かるかもしれない。

    昔から考えていることの一つに、「信じる」ことの是非がある。是非で論じるべきものではないのかもしれないが、「信じる」が「真実に目をつぶる」こととどう違うのか、自分は何かを「信じる」べきか、そもそも「信じる」とは何か、ずっと答えが出ないままである。

    こう書いてみて思ったのだが、もしかすると、「信じる」とは何かを考えるのには、言語を検討してみるのがいいのかもしれない。つまり、「信じる」という言葉がいつどのように使われるのかを考えるなら、「信じる」の正体が分かるかもしれない。
    | 思索 | 20:02 | - | - | - | - |