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トカトントン、が聞こえる

最善の判断をしたはずなのに、実は「トカトントン」だったのかもしれない、と考える男のメモ
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欲望と成功と日本と池田晶子
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    池田晶子

    再び、故・池田晶子に関係した話。
    先日亡くなった池田晶子は、何度も「この世はどんどん悪くなりつつある」と書いた。「現代日本社会がますます悪くなっている」と文明批判をしたかったのではないか。ただ、本当にそう思っていたのかどうかはわからない。晩年(故人なので、もうこのように言ってもいいのが悲しい)は「哲学の巫女」などというキャッチコピーをもらうこともあった池田は、若い頃は編集者とケンカして干されたこともあるらしいが、ここ数年は仕事の場が広がりつつあった。おそらく、池田に何か書かせたいと思っていた編集者はたくさんいたはずだ。私自身、一緒に仕事をしたいとまでは思わなかったが、一緒に酒を飲む機会があればよかったのに…とは強く思う。もっとも私自身は、作家と酒を飲んだことはないが。

    さて、私の意見は、池田の意見とは異なる。池田は、「現代日本社会がますます悪くなっている」と文明批判をしたかったのではないか。私はというと、「人間そのものや社会全体は、進化することもなければ、退化することもない。むしろ、変化するだけだ」という考えである。日本がこのように変化したのは、日本に住む、多くの人たちが望んだからである。多くの人たちの願いがかなった現代日本社会を「悪い」と評価するのは、池田にとっては当然のことだろうが、多くの人の実感にはそぐわないだろう。

    社会の変化は、人の願望をかなえる形で起こる。しばらく前に援助交際が流行したのも、「若い女を抱きたい」という男の欲望に対して、「体を売ってでも、カネが欲しい」「体を売ってでも、友達に取り残されたくない」などという女の欲望がうまくマッチしたからではないか(女の欲望は、もう少し複雑だが)。あるいは、ベンチャー企業を立ち上げる若者が次々に登場し、実際に成功して、若くして巨万の富を築く者も出てきた。彼らの「自分の好きな仕事をして、さらに蓄財したい」という欲望は、「自分の好きなことをするのは、よいことだ」「カネが手に入れば、人生は成功」という、現代日本社会における支配的な風潮と密接な関係がある。

    このように考えてみると、「自分がしたいことをしている」と信じ込んでいる人の多くは、現代日本社会の常識や共通理解にのっとって、自分以外の人の欲望を具現化しているだけであり、特に変わったことをしているわけではないと思える。「欲望は、常に他人の欲望である」と言う。その言葉は、こういう意味なのだろうか。

    少し見方を変えてみよう。

    内容は形式に限定される。個人の思考や行動は、時代や地域や文化によって大きな制約を受ける。欲望ももちろん同じだ。現代日本社会における主な欲望は「カネが欲しい」と「有名になりたい」の二つである。これに「他人をコントロールしたい」を加えれば、主なものは網羅したことになる。

    事業を興す者は「カネが欲しい」という欲望に動かされる。タレントになりたい者、ブログを書いてアクセスを集めようとする者は「有名になりたい」という欲望を強く持つ。嘘の情報や偏った意見を披露して人を騒がせる「釣り師」は「他人をコントロールしたい」か「有名になりたい」という欲望に従って行動する。二つ以上の欲望が複合して行動する者も少なくない。

    このような欲望を強く持って活動すれば、社会的には「彼(女)は成功した」と認められ、うらやましがられる。ここで、注意したいのは「彼(女)は成功した」と認められるのは、現代日本社会で多くの人が持っている欲望を彼(女)が実現したからであって、それ以外の理由からではないことだ。ここは重要である。

    そして、注意すべきなのは、もともと自分以外の人が持っている欲望を無自覚なまま自らの欲望とした人の話は、聞いていて気持ちが休まらないことである。他人の欲望を取り入れて走り続けている人自身も、気持ちが休まらないかもしれないが、それよりも顕著なのは、その人たち(成功者であることが多いだろう)の話を聞いても、ただ焦りと嫉妬ばかりが大きくなって、安らぎは一切得られないことだ。心を休めたいのであれば、知らないうちに他人の欲望を取り込んだ人の話ばかり聞いていてはいけない。自らの欲望の成り立ちを自覚している人の話を聞き、知らずに他人から取り込んでしまった欲望を鎮めるようにすれば、気持ちは勝手に収まっていく。

    数年前に亡くなったライターの奥山貴宏は、肺ガンにかかった後に上梓したエッセイの中で、「死ぬことより、忘れられるのが怖い」と書いた。奥山に同情する人はとても多く、彼が残した本を読んで感動する人はたくさんいる。同業者の中でも人気があったようだ。しかし、彼の「忘れられるのが怖い」というのは、先に紹介した「有名になりたい」という欲望にマッチしていたから、多くの人に受け入れられたのではないだろうか。

    奥山の言葉を読んだ池田は「気持ち悪い」と書いたが、それを読んだ勝谷誠彦に「早く死ね」と罵倒された。数年前のことだが、池田は本当に死んでしまった。勝谷は、池田の早すぎる死に対して「ざまあ見ろ」と言ったのだろうか。池田が連載の最終回で紹介していた古代ローマ時代の墓碑銘「次はおまえだ」という言葉は、勝谷には届かないのだろうか。届かないような気はする。勝谷はジャーナリストとしては大変有能だが、自分が生きている時代や社会の枠組みを考えるのには向いていないようだから。
    | 思索 | 22:37 | - | - | - | - |