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トカトントン、が聞こえる

最善の判断をしたはずなのに、実は「トカトントン」だったのかもしれない、と考える男のメモ
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梅田望夫氏と同じ時代に生きる幸福と不幸
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    梅田望夫氏の「My Life Between Silicon Valley and Japan」の「最近つくづく思うこと」より。

    たとえば小林秀雄や司馬遼太郎といった故人の作品を読み返すとき、彼らはネット上に溢れる無数の読者の「作品に対する感想や批判(ときには罵倒)」を読む機会を得なかったんだなあと思い、現代に生きる幸福を痛感する。/ネットは社会全体を相手にするのだから、ある意見に対する賛否両論は当然だし、誤解も生じるし、ときに批判は激しい。でもそんなこと以上に、嬉しくわくわくすることがある。それは、自分が書いたことが(たとえたった一人であれ)見ず知らずの人の、あるいは身近な意外な人の、心を動かすことだ。そしてそのことが直接わかることである。そんな素晴らしい経験の可能性が、いま誰にも開かれようとしている。

    釣り記事でしょうか。マジレスすると、「素晴らしい経験」というのは物事の一面でしかないでしょう。無数の読者からの感想や批判を読んで、喜んでいられる人ばかりではなく、少なからぬ人はそれによって創作意欲をそがれ、ネットがないことによって世に出てきた多くの作品が生まれなかったのではないか…という方向にも想像力を働かせて欲しいものです。もちろん、そんな方向性を梅田望夫氏に望むのは間違っていますが…。

    それから、ネットを「社会全体」ととらえるのは、もはや「間違い」の領域に入ってきました。ネットはどんどん細分化され、「地方」あるいは「地域」あるいは「ムラ」が生じつつあります。mixiという「ムラ」、「はてな」という「ムラ」、Second Lifeという「ムラ」、MMOGという「ムラ」、Yahoo!掲示板という「ムラ」、ケータイ文化という「ムラ」…。参加者は、多少の行き来はあるにせよ、自分が心地よいと感じる場所に居着くものです。梅田望夫氏がいかに素晴らしいことを書いても、たとえばケータイ文化に住んでいる人にはまったく届かないでしょうし、彼らからの感想も批判も梅田氏の耳にはいかなる形でさえも届かないでしょう。

    梅田氏の考え方に沿って考えるなら、たとえば、文壇バーといのうが昔ありましたが、それがネットの一部に分散した形で、再び存在する世界になった、とは言えるかもしれません。うーん、ちょっと違うかな。いずれにせよ、地域的・職業的に固まっていたグループが、ネットを介してつながるようになった…ということだと思います。決して、梅田氏が思うようなバラ色の未来が到来しつつあるわけではないのではないかと。

    | ネット | 20:52 | - | - | - | - |