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トカトントン、が聞こえる

最善の判断をしたはずなのに、実は「トカトントン」だったのかもしれない、と考える男のメモ
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「罪と罰」を読んでいる
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    「事実は小説より奇なり」というけど、現実の方が小説を追い越したと言われるようになって、もうどのくらい経つだろう。並みの小説よりも、事件や事故を追うドキュメンタリーの方が面白いのは確かだ。

    だが、ドストエフスキーはちょっと違うようだ。随分前に読了した「カラマーゾフの兄弟」は、いまだにテーマがよくわからないままだが、そこに描かれている出来事の“力”は、圧倒的なものだった。今、読んでいる「罪と罰」もまた、大きな“力”が登場人物を飲み込んでいく。意思を持って行動する人間が、その意思とは何の関係もない場所に放り投げられ、翻弄されていく。

    ドストエフスキーの小説が単なる荒唐無稽なお話とならないのは、人物の心理描写によるところが大きいと思う。小さく、そして大きく揺れ動く主人公ラスコリーニコフの感情を細かく鋭く描写する。自分の心の動きをじっと見つめれば、確かにわかる、しかしそこまでは誰も踏み込まないような場所、心の奥深くに言葉の楔を打ち込み、用心深く気持ちをひっくり返す。

    そんなことをして、いったい何の役に立つのだろう。そう問いたいような作業が何度も何度も執拗に繰り返される。

    何に役立つのか、それはわからない。きっと、特段の役には立たないのだろう。しかし、物語の持つ“力”は、人に大きな影響を与えることがある。人を癒やし、元気づけ、考えを転換させ、落ち込ませ、絶望させる。私と同じことを先人たちも感じた。だから、これらの作品が今に伝えられているに違いない。

    | 読書 | 20:56 | - | - | - | - |